僕らは 目の前で起こるあらゆる事に

解釈 つまり 

(観念・判断・観点・見識・意見・意味・価値・批判)

なんかを付け加えて 世界を捉えている



ある人に対しては 「あの人は、こういう人」だね〜ってマッピング[投影]したり

ある物に対しては「これは、こういう物」だぜって マッピング[投影]する


木彫りの人形に「崇高さ」や「神聖さ」をマッピングして

「仏像」って捉えるように 

はたまた資本主義っていう概念の中で 金属片や印刷物に「価値」をマッピングして

「貨幣」って捉えるようにしたり


言ってみれば 僕らの人生は『マインド・マッピング』の世界だ!


「すでにそうであるもの」を「イエス」っていって受け入れると

きみの深淵にある新たな次元が開かれる

その次元は外的状況にも 思考や感情で絶え間なく揺れ動いている

内的状況にも依存していない


ハートの奥底には なんの色も付いていない 純粋な「光」がある

ハートを閉ざして生きれば 光は遮られ 人生は「お先まっくら」になる

でも 少しでもハートを開けば そこから光は漏れだして 

心の中にある様々なマインドが 目の前にある事象に投影される


そこに何が映し出されるかは その人が抱えているマインド次第だ


人それぞれ 別なデータを映し出しているから ひとつの事象に対しても

認識のされ方は、人それぞれだよね


何かを「美しい」って捉えたなら その何かに「美しさ」があるんじゃなくて

その人の中にある「美しさ」が その何かに投影されたんだ


何かを「醜い」って捉えたなら その何かに「醜さ」があるんじゃなくて

その人の中にある「醜さ」が その何かに投影されたわけだ


心に「ポジティブ」なマインドがあるなら 世界に「ポジティブ」がマッピングされるし

心に「ネガティブ」なマインドがあるなら 世界に「ネガティブ」がマッピングされる

心にどんなマインドもなければ 世界は「あるがまま」の姿で光を浴びるんだ


色即是空

僕らが生きる「色(しき)」の世界は マインドや観念っていう

「色(いろ)」がマッピングされた世界だ

「空(くう)」は、文字通り マインドや観念が「からっぽ」な、素(す)の世界だ

その世界はね マッピングが消えたときに はじめて明からになるんだ

そして そこにマッピングがあろうがなかろうが 

僕らは「空」という舞台に立っている事実は変わりないんだ

「空」は 解釈が付け加えられる前の世界だから それを捉えることは不可能だ

だって 「わかりました!『空』って こういうことだったんだね!」ってなったなら

そこには「こういうこと」っていう 『解釈』が生まれちゃうからね                                      ありがとね♪






  
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